「真我の実践」「真我の実践」とずっと唱えるということです。
「唱え方」という用紙も付いていますのでそちらもご覧になって下さい。
ひたすら唱えるということです。
「真我の実践」「真我の実践」と、声に出していただいてもよいのですが、
電車に乗って声に出して唱えていたら周りの人はびっくりしますので、
基本は心の中で唱えていただくことになります。
「真我の実践」「真我の実践」と寝ている時以外、人の話しを聞いている時も、
「真我の実践」と唱えるのです。
その方が正しく聞ける、と佐藤学長はそういっています
そのほうが正しく聞ける、人の話しを聞いている時も唱える、その時のほうが正しく聞ける
といっています。
ただ自分が言葉を発している時は唱えられませんので、それ以外の時は四六時中「唱える」習慣を
つけていただきたいと思います。
今この瞬間から
「真我の実践」「真我の実践」と唱えてください
『真我の実践』の唱え方
「真我の実践」を唱えることは、非常にシンプルでその効果は絶大です。簡単なので継続しやすく、時間も場所も選ばず、お金もかかりません。しかし、シンプル故に、正しく理解して実行、継続することが大切です。
「真我の実践(しんがのじっせん)」という言葉は、真我(=神・愛・完全・完璧・無限・永遠・絶対・ひとつ…)がすべての「答え」であり、その完璧な神の働き(=実践)を言葉の力で認め、応援し、その真我に言霊の力でフォーカス(焦点)をあてる意味があります。
その言葉の力で、真我に共振共鳴を起こし、神の元に戻る力が働いて心、身体、現象面に真我の自動調整(修正)の現象が起きたり、人間の心が生み出す「妄想」(不安、恐怖、心配、取り越し苦労…)などの心の闇を真我の光で消し、リセットしたり、自分が見ている世界に神を映しだし【神鏡(かみかがみ)】、すべてが自分と一体であり、ひとつとしてつながっていて、すでに完全調和した、すべて全方位に奇跡が起きている事実【ミラクルロード(奇跡街道)】に目覚めることが可能になります。
あなたが真我開発講座で体感した究極の答え「すべてが愛」という感覚をいつまでも維持し、継続し、その心を現実の生活や仕事に体現し続けることが容易に可能になるのです。
【一人で唱えるとき】
心の中で、「真我の実践(しんがのじっせん)」という言葉を何度も繰り返し唱える。
●状況に応じ、声に出して唱えてもよい
例:「心の中で唱える」→「声に出す」を交互にするなど
●目の開閉は状況によってどちらでもよい
●唱える回数、ペースは状況に応じ、自己判断で構わない。ただし、なるべく「間」を空けないほうが効果的。「間」を空けると、マイナス感情などの「魔」が入る隙ができる
●ひとりのときは、状況に応じ、鏡に映った自分を見つめながら唱える方法も有効
【より効果を上げるポイント】
●「真我の実践」の意味を深く理解する
●内観光受、または真我瞑想と組み合わせ、その後に唱える
●真我の体感、確信をより深める(各種、体感型の真我開発講座受講等)
●神聖な気持ちで唱える(合掌して神聖な気持ちに拍車をかけ唱えるのもよい)
●唱えた結果の気づきや体験を発見し、認め、また発信することで確信を深めていく
【対人で唱えるとき】
<人の話を聞く時>…「真我の実践」を心の中で繰り返し唱えながら聞く。
<自分が話す前>…「真我の実践」を心の中で何度か唱えてから話をする。唱えて自分が話したことについて、もし間違ったことをいってしまったと思っても自分を責めない。それも一過程と捉え、さらに唱える習慣を続ける。すると、徐々に失言がなくなってくる。
【唱えることを忘れていたら……】
「唱え忘れていた」と気づいた瞬間に唱え始める。そして唱え忘れていたことを責めない。
【場所・状況】
基本的にどのような場面でも唱えることは可能。「歩いている時」「電車に乗っている時」「話を聞いてるとき」「注意を受ける、叱られている時」「人前に出る前」「就業前」「プレゼンの前」「電話を取る前、かける前」「作業をしている時」「家事をしている時」「起床直後、就寝前」「入浴時」「不安、心配など、マイナス感情が湧きあがった瞬間」「困ったことが起きたとき」… 特に、マイナス感情が働く時には、むしろ、それをきっかけに唱える。そして間を空けずに唱え続けることで、マイナス感情をリセットできる。
【瞑想との使い分け】
決まりはないが、たとえば「静」と「動」で使い分けてもよい。たとえば、【場所・状況】で紹介した場面以外の、静かでじっと座って目を閉じてできる場合は、瞑想(真我瞑想)を行い、【場所・状況】で紹介したような「動き」を伴った場面では「真我の実践」を唱える。
まだ、真我瞑想を体得されていない方は、「真我の実践」を唱える瞑想を行っても良い。
【実践の意味】
「実践」とは、何かをするから実践という意味ではない。何かの行動だけを指すのではなく、行動しようがしまいが、今この瞬間も60兆の細胞は一糸乱れず働き、入れ替わり、心臓を動かし、血液が流れ、呼吸をするといった神の完璧な実践がなされている。その事実を認め、言葉の力でその実践を応援する意味合いがある。
【注意点】
「願望」をもって唱えない。
「真我の実践を唱えて、●●を手に入れたい」 → 「手に入らないから効果がない」×
「真我の実践を唱えて、こういう状態になりたい」 → 「いいことがおきないから効果ない」×
※「願い」を持つと、それが邪魔をし、神の力が現れなくなる
唱えている時は意味づけをせず、ひたすら唱える。その結果起きた心の変化や現象の変化、自分の言動、
行動を、真我の動きなのか、そうでないのかと判断せず、すべて必要な過程と捉える
◎段階があります
「真我の実践」を唱えた結果、心の状態には個人個人によって様々な段階があります。
下記を参考にして、こうなったら良い、こうなったら悪い、という捉え方でなく、「真我の実践」を唱え、真我にフォーカスが当たった結果起きた、必要な一過程なのだと捉えてください。
また、その状況だからこそ、そして、そういう時こそ「真我の実践」を更に唱え、むしろ様々な一見マイナスと思われる状況も「真我の実践」を唱えるステップにしてください。
下記の状況は、真我の体感度合いや、真我の確信、理解の度合いなどによって個人差があります。しかし、いずれの場合も、「真我の実践」を唱えることで最終段階に近づいていることは事実です。「真我の実践」を唱えた結果、下記のあらゆる段階はすべて必要なステップなのです。
(すべての段階を順に経るというわけではありません)
1. 唱えても何も感じない段階
2. 唱えた結果、心のゴミが出る段階(イライラ、マイナス感情、自分や他人を責める感情など)
3. 唱えた結果、心や身体が一時的にマイナスと思われるような現象が起きる段階
4. 唱えた結果、心が落ち着いたり、不安、マイナスの感情が少なくなってくる段階
5. 唱えた結果、愛や感謝を感じ、講座を受講した状態に近くなっていく段階
6. 唱えた結果、すべてとの一体を感じ、懐かしさや、自然体、リラックスを感じる段階
7. すべてが、神、仏にしか見えず、すべてが奇跡としか思えない、愛と感謝と歓喜の世界。
神しか映らない神鏡状態、仏陀・キリスト意識顕現の段階